賭博小説シリーズ第二弾はこれ。
「牌九」というギャンブルの世界王者となった経験もある著者が、オーストラリアのカシノを舞台に大賭博を張る。美貌の女ディーラーとの勝負などコテコテで笑ってしまう部分もあるが、著者のギャンブルに対する薀蓄はさすが世界チャンプの言葉だけあって説得力がある。もっとも、著者の専門外である競馬に対しての考察だけはいただけないが。
著者自身、オーストラリアのカシノを根城とする「常打ち賭人」。
森巣の賭博に対するスタイルは至って明瞭で、通常はごくごく少額の、「見」同然の小博打を楽しみながら、いざ機をみれば一気に大勝負に出て畳み掛ける、いわばギャンブルのセオリーを実践しているに過ぎない。それでも、その「機」を見出す洞察力と、「機」を見出したときに実際に動ける豪胆さを兼ね備えている人間は意外に少なく、そのふたつをともに所持する者だけがいわゆる「勝ち組」となれるのだ。
私は臆病だ、小物だと謙遜しているふりをしながら、実は周りの賭人たちを見下しているいやらしさ、傲慢さも、実際に「勝ち組」なのだから頷かざるをえず、知った風な口を叩いている若造ギャンブラー達の言とは違って何故か不快感を抱かない。文章も同じような言い回しの繰り返しで決して巧い部類ではないのだが、読ませるツボを押さえているあたり、そこは文章もプロ。森巣の文章は廃刊となってしまった「書斎の競馬」でも目にしたことがあったが、それもなかなか面白い物だったと記憶している。
なんにせよ、この「牌九」と呼ばれる我々日本人には馴染みが薄い賭博を描いた小説というだけでも一読の価値はある。そして、この小説を読んで心が熱くなった者は洩れなく、既に賭博の世界の住人たる資格があるというものだ。
「牌九」というギャンブルの世界王者となった経験もある著者が、オーストラリアのカシノを舞台に大賭博を張る。美貌の女ディーラーとの勝負などコテコテで笑ってしまう部分もあるが、著者のギャンブルに対する薀蓄はさすが世界チャンプの言葉だけあって説得力がある。もっとも、著者の専門外である競馬に対しての考察だけはいただけないが。
著者自身、オーストラリアのカシノを根城とする「常打ち賭人」。
森巣の賭博に対するスタイルは至って明瞭で、通常はごくごく少額の、「見」同然の小博打を楽しみながら、いざ機をみれば一気に大勝負に出て畳み掛ける、いわばギャンブルのセオリーを実践しているに過ぎない。それでも、その「機」を見出す洞察力と、「機」を見出したときに実際に動ける豪胆さを兼ね備えている人間は意外に少なく、そのふたつをともに所持する者だけがいわゆる「勝ち組」となれるのだ。
私は臆病だ、小物だと謙遜しているふりをしながら、実は周りの賭人たちを見下しているいやらしさ、傲慢さも、実際に「勝ち組」なのだから頷かざるをえず、知った風な口を叩いている若造ギャンブラー達の言とは違って何故か不快感を抱かない。文章も同じような言い回しの繰り返しで決して巧い部類ではないのだが、読ませるツボを押さえているあたり、そこは文章もプロ。森巣の文章は廃刊となってしまった「書斎の競馬」でも目にしたことがあったが、それもなかなか面白い物だったと記憶している。
なんにせよ、この「牌九」と呼ばれる我々日本人には馴染みが薄い賭博を描いた小説というだけでも一読の価値はある。そして、この小説を読んで心が熱くなった者は洩れなく、既に賭博の世界の住人たる資格があるというものだ。
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by Mazzan_tini
| 2005-03-17 22:51
| 書評