オレ流。


by Mazzan_tini

寺山修司 『競馬への望郷』 (角川文庫) ★★★★

 ギャンブル小説シリーズ最後を飾るのはこの作品。
 青森という土地は、過去に二人の天才文人を世に送り出している。一人は太宰治、もう一人が寺山修司である。二人に共通しているのが、ともに卓越した言葉の使い手でありながらそれを巧みに娯楽へと転換させた点だろう。芸術性と娯楽性を両方備えた文章は誰にでも書けるものではない。稀有な才能と言ってよいだろう。
 寺山は、『馬敗れて草原あり』で提示した「馬券を買うということは、すなわち己を買うという行為である」とのテーゼを、本書においてよりこなれたものにして発表している。そうだよなぁ、馬券とは哲学だよなぁと真に思う。人気馬を買う者、穴馬を買う者。血統で買う者、馬体で買う者、調教で買う者。逃げ馬が好きな者、追い込みが好きな者。芦毛が好きな者、牝馬を好きな者。単勝ばかり買う者、3連単ばかり買う者。
 それら全ての競馬に関る要素をバランスよく織り込んで、冷徹に馬券を買える者など一握りしか存在しない。大方は何らかの要素を切り捨て、何らかの要素にシフトすることになる。そのシフトこそが、彼や彼女にとっての馬券哲学なのだろう。
 小説を私小説のように書くスタイルも太宰と似ている。「私」とともに酒場に集まる競馬ファンの哀しくも熱い心情を、ハイセイコーが走った70年代という時代風景を匂い立たせて秀逸に描く。流行りの歌謡曲の歌詞が挿し入れられているのも、純然たる芸術志向の作家にはなかなか出来ない手法かもしれない。
 賭博とは、勝った負けたの結果だけでは味わえないカタルシスを多分に含んでいる。ひとつひとつの勝負に至るプロセス、そこにそれぞれの哲学が込められている。そしてその哲学の先には、必ず勝敗という結果が待っている。賭博、とりわけ競馬のそうした側面に、寺山が人生の縮図を感じたとしても決して不思議なことではないだろう。
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by Mazzan_tini | 2005-08-15 18:55 | 書評